足袋仕立て 石井 芳和

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isii_saku2.jpg 足袋のルーツは一説には奈良時代からとあり、指の股が無く紐で結ぶ形だったそうです。室町時代に股のある形になり元禄時代にこはぜ掛けが主流になったそうです。足袋の寸法は昭和34年までは文数でおいていました。現在はセンチ。

めうがや本店は万治2年に日本橋に創業し当店は慶応3年にのれん分けを許され現在(5代目)に至っています。

つま先がつんとしたやや細身の足袋が特徴です。



石井 芳和 / 作品

足袋仕立て / 工程

名 前:石井 芳和
工芸品:足袋仕立て
住 所:墨田区向島5-27-16
略 歴:昭和26年 現住所に生れる

高校卒業後約7年間 浅草の呉服店で修業。仕事内容は営業といって呉服を販売する事でした。
その後いくつかの会社勤務を経て、20代後半の時に家業に入り四代目の父のもと足袋作りを始め現在に至る。
職人としてはやや遅い出発だったかもしれませんが呉服店での厳しい修業はその後の自分にとってとてもプラスになりました。

仕事のこだわり:足袋は立体裁断といって平面の布を計算どおりにカットして縫い込んで足にピタッとフィットさせる独特の技があるのです。これはなかなか難しく全工程をマスターするにはかなりの時間を必要とします。

ひとつひとつの工程を心を込めてしかも確かな技術力を持って行なわなければ良い足袋は完成しないのです。
これからもお客様が本当に喜んでくれる足袋を作ってゆきたいと思っています。

 

■ 少年時代

isii3.jpg この街(向島)は花柳街といって料理屋さんがたくさんあり、夜になればとっても賑やかな雰囲気のある所です。足袋屋の子供として生れたので店が特に忙しい年の暮れや正月にかけてはごく自然に商売の手伝い(店の掃除、配達、つり銭計算等)をしていました。こずかい目当でしたが。

クラスメートの大半はサラリーマンの家庭より向島の中で商売をやっている家庭の友達が多かった。そんな少年時代でした。  写真:師匠の父と息子

■ 職人になるきっかけ

小さな家には何台ものミシンが置いてあり随分とその角に頭をぶつけたものでした。自分にとって足袋屋は生活そのものであり将来足袋職人になる事に何の抵抗も無く幼い時から自分自身で決めていました。

最も今思えばこんなにも足袋を作る難しさを当時少しでもわかっていればきっと他の道に行っていたでしょう。

■ 職人になってから現在

高校卒業後して約7年間浅草の呉服店で修業しました。仕事内容は営業といって呉服を販売する事でしたが商売の心得やお客様との会話、挨拶など色々勉強になりました。
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家業に入ってから最初は糸縒り(こはぜを掛ける糸)を行ない、その次は糸掛け、この工程に約2年間。この間に毎日少しずつ足袋の事を知ってゆきます。それからミシン掛けに入りごく簡単なところから始まりより専門的な知識もいっしょに勉強していきます。約10年で全工程の約7割ぐらいを覚えてその後の10年で残りを体得します。ただしこの段階で足袋を作れるといってもあくまでここがスタート。



■ 職人哲学

私は主にオーダーの足袋を作っています。注文主それぞれが自分の足袋に対して強い思い入れ(こだわり)が有り、ただ足袋を作って終りではないのです。

職人としては今までの経験や確かな技術力を持って満足に値する足袋を作って初めて認められるわけです。父の遺した言葉に「一生修業だ」これが今心から理解できるようになりました。が仕事をし続けていく以上大切な言葉であると思います。

■ 私の目標・夢

isii2.jpg 足袋を作るのは昔から分業体制になっています。当然私の店でも家族を含め数名の作り手で仕事をしています。「よい足袋はよい作り手から」をモットーにお客様の喜ぶ顔を思い描いて全員が健康で楽しく毎日足袋作りを行なってゆきたいと思っています。




■ 連絡先

tabishitate.jpg氏 名:石井 芳和
住 所:墨田区向島5-27-16(工房ショップ)
電 話:03-3626-1413
FAX:03-3626-1413