>伝えたいこと

>西山 和宏

■少年時代
 戦争のおかげで最終学歴は尋常高等小学校卒です。卒業年は新6・3制に変った年でした。疎開先の信州で貧困と飢餓の時代、農家の暮らしぶりや野良仕事の中で育った田舎の子供達のたくましさにふれ、青白い都会っ子のコンプレックスを感じた。

 信州の大自然の中での少年時代の約4年間の貴重な体験は楽しく、懐かしくほろ苦い思い出の中で大事なものをたくさん学び取った。
 
  ■職人になるきっかけ
>作業場にて
<作業場にて>
 終戦のドサクサで職業の選択肢がなかった。籐家具職人(母方の伯父)増田忠治氏と長野県へ疎開したのが縁で籐工芸入門。それも自然の成り行きだったのだ。ところで今は昔と比べて夢のようなうらやましい時代だと思うが現代の若者達にどんな未来が夢があるのだろうか?
 
  ■職人になってから現在
 籐工芸入門。その始まりはかご作りからでした。戦後しばらくは籐の代用品として竹、あけび蔓、柳などを使ってザルやビクなどを作って農家の人たちに喜ばれました。大正時代から昭和三十年代頃まで乳母車は籐製のかごが主流であった。籐の乳母車は子育てばかりでなく当時配給品などの運搬車として大変便利に使われた。現代のベビーカー、ショッピングカー、シルバーカーの前身であった。
>お客様とのおしゃべり


 夏家具のイメージの強かった籐椅子の時代から子供椅子、ゆりかご、ベットなど育児家具の全盛期を経て、現代は高齢社会、シルバー向きのものが多くなっている。

 本来、我々職人は手つくり、手間稼ぎが基本ですから、販売には直接関係ないものでしたが、昔からの問屋さんがなくなり自分で作ったものを自分で売るというデパート催事場などでの「伝統工芸職人展」とかで実演販売のおしゃべり職人をやっております。たかが五十数年「この道一筋」も時代の流れに合わせて随分変れば変るものです。
 
  ■職人哲学
>実演中
<実演中>
 戦争に負けても負けたと思いたくなかった。「終戦」と言った言葉の中に明治生まれの先輩職人達の気概を感じる。まさに頑固な職人魂が戦後の日本を復興させたのだ。

 職人哲学って?難しく考えたくない。強情っ張りで意地っ張り、頑固一徹、負けず嫌い。
 
  私の目標・夢
 あと十年、八十歳までやりたい。この仕事は定年がないんです。「定年も勝手気ままに先送り」。作り手と使い手の顔が見える関係を大事にしたい。

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