錺簪 三浦 孝之

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katsura.jpg 簪や櫛の歴史は長く、古くは縄文時代から見られ、はじめは身を守ってくれるお守りの役目がありました。自然の草花には強い生命力が宿るとされ、それを身に着けていると魔を払ってもらうと考えられていたようです。そのような草花をいろんな材料を使って形にし、髪にさすようになったのが簪のはじまりです。

遠い昔、簪はただ単に髪を飾る道具ではなかったのです。そして簪が装飾品として華やかさを持ち始めたのは、いろんな形に髪を結うようになった江戸時代以降のことです。いわゆる日本髪ですね、テレビの時代劇に出て来る女性の髪型です。昔の女性はみんなあのような髪型をしていました。あの髪型にも何種類もの形があり、その時代によって流行りがあったようです。それは今の時代も同じですね。

そして私が作っている錺簪(かざりかんざし)は金、銀、銅、真鍮(しんちゅう)などの金属で作られているものをさします。細工のモチーフにされるものは、動植物や歳時記をとおした粋なもの、縁起を担ぐ意匠など、小さな飾りの中に物語性があるのが特徴です。


三浦 孝之 / 作品

錺簪 / 工程

名 前:三浦孝之 みうらたかし
工芸品:錺簪 かざりかんざし
住 所:墨田区東駒形3-22-7
略 歴:昭和42年 東京都墨田区東駒形生まれ

1987年 日本デザイナー学院グラフィックデザイン科卒業
1988年 広告代理店入社(パソコン等で広告デザインの作図を手掛ける仕事に就く)
1993年 祖父の他界をきっかけに錺職の道に入る事を決意
 同 年  和装小物メーカー入社(髪飾りの販売、流通面を習得)
 同 年  父(三代目)の師事を受け始める
1996年 墨田区伝統工芸保存会入会
1998年 保存会職人展、その他百貨店等の製作実演に出始める
2001年 東京都青年優秀技能知事賞受賞
2002年 アメリカ、シカゴにて製作実演
2004年 平成中村座ニューヨーク公演にて製作実演
 同 年  銀座松屋 和の座ギャラリーにて個展
2006年 すみだマイスター認定
2007年 平成中村座ニューヨーク公演にて製作実演 
 その他、二人展・グループ展多数

現在かざり工芸三浦四代目として、歌舞伎や日本舞踊などの演劇用簪を中心とする他、
一般向けの和装小物を製作

仕事のこだわり:私の作っている簪は金属で作られています。簪のモチーフにされる図柄は主に動物、植物、昆虫、風景など、自然のものが多く、普段から花や葉、鳥や蝶など自然の生き物をよく観察し、五感で感じ取ることを日々心がけています。ひとつの花が本物のように咲いて見えるか、蝶やトンボが今にも飛び立つように見せるか、金属の板や線を使って作られた生き物たちに生命があるように見せる事が仕事へのこだわりです。

現代では型で出来ているパーツの花や葉などもありますが、糸ノコを使ってひとつずつ切っていくものには、手作りならではの風合いがあります。

 

■ 少年時代

miura1.jpg 私の小さかった頃は家に庭があり、たくさんの植物や動物を飼っていました。休みの日には父親が山や海にもよく連れて行ってくれて、山では昆虫を捕り、海ではカニやヤドカリを捕ってきては家に持って帰ってきてよく飼育したものです。
「自然の生きものたちはどうしてこんな形や色をしているんだろう?」とその頃から動植物にはとても興味がありました。
そんな環境の中で育ったこともあり、私は自然と動植物が好きになりました。職人の家に生まれてきた事で、小さい頃から生き物の絵を描いたり、仕事場のガラクタを使って何か作ったりする事は得意になりました。学校でも図画工作だけは成績が良かったです。

■ 職人になるきっかけ

miura2.jpg 私が職人になる事を決めた一番のきっかけはお爺さんが亡くなった事でした。その頃の私は家の仕事を継ぐ事は考えてなく、広告やポスターなどを作るデザイナーになる夢がありました。グラフィックデザインの専門学校を卒業したのち会社に勤めていた私は、パソコンを使い図形などを描く仕事をしていました。

5年程した頃、寝たきりになっていたお爺さんが亡くなってしまい、その時に思ったのです。「今私がやっている仕事は星の数ほどいる仕事だけど、代々引継いできている家の仕事は数少ない貴重な仕事なのでは?」ひいお爺さんの代から続いているウチの仕事は父親の代で三代目になります、お爺さんが亡くなり、やがて父親もこの仕事を辞めてしまったら、錺職として続いてきているウチの仕事が途絶えてしまうと感じ始めたのでした。

そんな出来事がきっかけで私も錺職人(かざりしょくにん)の四代目として家の仕事を引継いで行こうと決心したのでした。

■ 職人になってから現在

miura5.jpg いよいよ家で修行を始める事になりましたが、簪の事はまだ何も分かりません。そこでいきなり家で仕事を覚える前に、簪がどうやって売れるのか、どんな人が簪を使うのか、まずそういう事を学んだ方がよいと思い、当時父が世話になっていた髪飾りを扱う会社へ入れさせてもらい、家で作った品物がどうやって使う人の手に渡っていくのか、世の中の仕組みを学びました。そして会社に通いながら少しづつ家の仕事も手伝うようになりました。

はじめは葉っぱひとつ切るのも思うように手が動きませんでした。小さい頃から父親の仕事は見てきましたが、いざやってみるととても難しく、何度も指を切ったりしました。道具を使いこなす難しさも思い知らされました。
そして何度の失敗を繰り返し、自分で納得できる品物が出来るようになったのは10年が過ぎた頃だと思います。
しかし現在でも100%というものは無いです。次はもっと良い品物を作ろうとする思い、職人の道は生涯勉強ですね。

■ 職人哲学

miura4.jpg もの作りの職人としてベテランの方々から比べると自分はまだまだですが、仕事には誇りを持ってやっています。私が職人としてのスタートは遅かったのですが、それまでに経験してきた事は何ひとつ無駄にはなっていないと感じています。小さな頃から動植物が好きで良く観察していた事、専門学校で習った絵の勉強、パソコンで図形を描いていた仕事、髪飾り会社で教わった簪の流通面。これらの経験が全て今の仕事に結びついている事であり、その経験を自分なりに応用して無駄にしない事が大切なんだと思います。

そして一番大切な事は人とのふれあいだと思います。家族はもちろんの事、職人仲間、友人、簪を求めて下さるお客さま、こうした自分の身の回りの人達に支えられて、今の自分があることを毎日の仕事を通してつくづく感じています。

■ 私の目標・夢

miura3.jpg これからの私の目標は、まず一番に職人としてもっと腕を磨き上げていく事です。普段は歌舞伎・日本舞踊などの伝統的な簪を作っていますが、それを自分なりにアレンジして一般の人達が身近に着けられるような和装小物を作り続ける事。日本の文化である簪が絶えないように一人でも多くの女性に着けてもらい、その人が家の宝物のひとつとして代々引継いでいってもらえる事は職人として一番の喜びです。100年後、私の作った簪が家族の話題になっていたら、私の目標は達成する事になるでしょう。


■ 連絡先

kazarikanzashi.jpg氏 名:三浦 孝之
住 所:墨田区東駒形3-22-7(工房ショップ)
電 話:03-6751-8858
FAX:03-6751-8858
Blog : http://kazashi.exblog.jp/
メール:miura-t@jcom.home.ne.jp