歴史・特徴など
江戸におきましては、提灯製造の分業化から、文字や家紋を描く職人のことを「描き屋」といい、一般に提灯屋というのは、提灯のみならず、看板やビラなどにも字を入れる描き屋のことでもあったそうです。 提灯に使われる書体の代表格は籠字(かごじ)と呼ばれる江戸文字の一つで、その名の由来は、文字が滲まないように最初輪郭線を描き込む素描き(土手描き)の線が、編んだ籠のように見えるからというのが有力ですが、線の端をちょっと尖らせ上に向け、運気が上向きになるよう、 神様仏様のご加護がありますようにと願うことからカゴの名がついたとの説もあります。 江戸文字には様々な形があり、その謂われも諸説色々ありますが、共通して出てくるキーワードは、「運気向上」「右肩上がり」「大入り」など縁起の良い言葉、験担ぎの願いが込められて、 単なるかたちや面白さだけではないということです。
どこの国でも物事を伝える道具としての字はありますが、人々がその権力に負けてたまるかという想い、反骨精神が形になった書体を持つのは日本、江戸文字だけではないかと思います。 それは当時の時代背景、仕事も金もない武士とのアンバランスな身分制度があったからこそ生まれた文化の一つかもしれません。 更に権力だけでなく、大地震や大火などの災害にも何度も潰されながら、それにも負けない復興の象徴でもあったと思われ、それは今の日本にも通じるのではないかと思います。
大石 智博/手描き提灯作品
手描き提灯/制作工程
名 前:大石 智博
工芸品:手描き提灯
住 所:墨田区横川3-8-2
略 歴:昭和35年5月6日 新潟県上越市生まれ


昭和54年 
新潟県立直江津高等学校卒業

      お茶の水美術学院に通い、その後 元国画会会務委員 平井一男に師事(近代造形学園)

      ギャラリーセンターポイント 世田谷美術館などでグループ展活動

      某美術短期大学在学中に有限会社市川はなぜん 浅草出身の福島新一(栄峰)と出会う

昭和60年 
市川はなぜん入社

平成6年  
墨田区横川四丁目に独立開業

平成8年  
墨田区横川三丁目に移転(工房二丁目)

      すみだ工房ショップ認定店



☆仕事のこだわり:修行10年、独立して20年が過ぎましたが、自分は字を書くのが上手だと思えることがなく、自信ありそうな顔をしながら、実はドキドキしながら仕事をしてきました。 でもそれでいいのかな?と最近は思うようになりました。 親方がどんな仕事をしていたか、どう描くだろうとそ考えながら描いてきましたが、これからも多分それだけは続くだろうと思います。


施主、設計士の人の気持ち、何を求めているか、相手の立場に立って作り上げるようにする。どう作り上げていくか考えている作業が好きで、経験を生かせる。それは数多くの方と接し、現場の中から学ぶことが多い。


伝えたいこと
■ 少年時代
私の生まれた新潟県の上越市という所は、むかし国府のあった歴史古い所。聖武天皇により国分寺が置かれた所でもあり、親鸞聖人や上杉謙信公などと縁の地です。 また文化的にも優れた環境を持つところで、日本のアンデルセンと言われた小川未明や、日本画の小林古径などを生み出しました。 自然環境にも恵まれていて、妙高山や火打山に見守られ、目の前には日本海が広がります。しかし自然は優しいばかりでなく、特に冬場には厳しい現実を突きつけられます。 汗だくになって雪をどかして道を通しても、翌日には元に戻ってしまうその繰り返し。でもそれが「我慢・忍耐」ということを教えてくれたかな?と思います。

ただ自分としては真面目でよい子だったと思いますが、周りの評価はそうでないみたいで、先生からは何が悪いか説明できない問題児だと言われたこともありました。 今でも若干伝説として残っているようで、もしかすると少年時代を知らない人たちの所で住んでいるからこそ大きな態度でいられるのかもしれません。
■ 職人になるきっかけ
絵筆を文字筆に持ち替えても、自分がそれで仕事をするとは全く考えませんでした。 習字が嫌いで、母親から書道教室に通わされてもすぐに止めてしまうので、4つめは先生が自宅にやって来る書道教室になってしまいました。それが絵描きになる夢を断念して文字を書いている。 なぜこの仕事を続けているのか、実は未だによくわかっていません。ただ自分は筆が大好きなんだと思います。 字を書いていて、筆が勝手に動くことを知った時、それが職人になろうと思ったきっかけだったと思います。 本当の修行は独立してからだと自覚したのは3年目の頃だったと思います。
■ 職人になってから現在
はなぜん時代から続いていたのは、葬儀に使う看板や提灯などの製作でした。 良いものを時間内に納めなくてはなりません。特に独立してからは助けを乞うわけにいかず、どんな状態、状況でも作り上げなければなりませんでした。 近年家族葬という言葉が生まれ、規模の縮小とともに葬儀関係の仕事から卒業させて頂きましたが、実演をしていてよく驚かれる下書きなしは、多分あの頃鍛えられたおかげだと思います。
■ 職人哲学
教わったのは、10人のうち7人が良いと言ってくれたら良しとしろ、でした。 以前は全員が良いというのは無理だからだと考えていましたが、最近そのくらい気持ちを楽にして取り組むことが大事だということを知りました。 画学生の頃、偉い絵の先生から言われたのが「止めないこと。続けることが大事」でした。 やっと今、その言葉の意味を、深く感じることが出来るようになりました。 とにかく描き続けられることを第一に考えることが、哲学かと思います。
■ 私の目標・夢
私は外から来た人間です。上だからこそ、外から来た人間でも温かく迎えてくれる「下町すみだ」の良さを、ここの人たちよりも強く感じることが出来るのではないかと思っています。

下町は、田舎と違い限られたエリアの中で多くの人が生活しています。そのために「お互い様」「思いやり」「譲り合い」の心が必要となり大切にされています。漢字も同じです。 決められた範囲の中に偏や旁がそれぞれ思いやりを込めて入らないと、美しい文字にはなりません。最初に入り込む偏さんが、自分のことしか考えずに大きく場所を占領したら、場所の少ない旁さんは困ってしまう、その姿を見て誰も美しいとは言わないはずです。

今、日本だけでなく世界中から提灯や扇子などへの文字入れ体験に、多くの方々が来てくれています。 その人たちに「漢字を綺麗に書こうとする日本人は、知らず知らずに譲り合う、お互いを思いやる心を学んでいる。その精神は、今でも下町すみだでは生き続けている」と毎回伝え広げるのが私の目標。 それに興味を持った人たちが、江戸文字を生み出した、江戸庶民の反骨精神を学んでくれて、大勢の「描き屋」が仕事をしている姿を見るのが私の夢です。
■ 連絡先
氏 名:大石 智博
住 所:墨田区横川3-8-2
電 話:03-3622-2381
メール:atelier.sougeikan@gmail.com